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五条家

五条家(ごじょうけ)は正二位・参議・大蔵卿・菅原為長(高辻為長)の子五条高長(従二位・式部大輔)(1210年-1285年)を祖とする堂上家の公家である。

家格は半家。官位は五条高長の子供五条長経(1242年-1315年)以降、大学頭・文章博士・式部大輔を経て中納言・大納言を極官とする。五条家からは、後に東坊城家、清岡家、桑原家が別れ出た。

家業は紀伝道。江戸時代の家禄は171石。明治時代以降は子爵。
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代々朝廷主催の相撲節会においては相撲司としてその運営を取り仕切ったことや、野見宿禰の子孫ということもあり、紀伝道のみならず相撲の司家として鎌倉時代以来君臨してきた。

横綱免許に関する五条家と吉田司家との確執 [編集]
しかし、相撲の司家としての五条家の名声は、熊本藩主・細川家の家臣である13代吉田司家当主吉田追風が積極的な相撲興行を展開し、江戸相撲において横綱免許を発給するようになってから失墜することとなる。

ようやく文政6年(1823年)、大関・柏戸利助と玉垣額之助への横綱免許交付をきっかけに立て続けに吉田司家に先んじて横綱免許を発給するなどして吉田司家への逆襲を始める。五条家単独で12代横綱・陣幕久五郎に横綱免状を発給して以降、明治時代に吉田司家が西南戦争で西郷隆盛軍に加担してその責任を問われたことを契機に五条家単独で大阪相撲や京都相撲の力士に横綱免許を発給したが、横綱免許を濫発したことが却って横綱の権威を損なう結果を招いた。

(ただし、明治10年(1877年)にすでに五条家から横綱免許を得ていた14代・境川浪右エ門は、吉田司家から横綱免状を発給される。)

更に明治末期に大阪相撲の実力力士・21代横綱若嶌權四郎が五条家から横綱免許を受けたことに続き、若嶌權四郎の後継者とされていた23代横綱大木戸森右エ門の横綱免許取得を巡る対立から、五条家頼みの綱である大阪相撲と吉田司家との間に亀裂を招く結果をも招いた。

終に、明治44年(1911年)に大阪相撲の主催団体大阪相撲協会が吉田司家と和解したことにより、江戸時代以来の横綱免許を巡る混乱に終止符が打たれた。このことは、相撲の世界における吉田司家に対する五条家の完全な敗退を意味した。五条家自身は既に京都相撲の力士・大碇紋太郎に横綱免許を発給したことを最後に相撲界との縁から遠ざかっており、以後、相撲界における五条家の消息は不明となった。

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2009年03月31日 09:04に投稿されたエントリーのページです。

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